明日を見通せない時代だから・・・

鉄道・スポーツ観戦・読書・音楽鑑賞をこよなく愛する、永遠の17歳

サポーターの向上なくして繁栄なし

 現在、白熱した戦いが行われているEURO2012。僕が真剣に見始めた大会は2004年のポルトガル大会。EURO2004を熱心に観戦したことで、サッカーを観戦する能力が飛躍的に高まり、サッカーを深く考えさせられるようになった。

 

 当時はクリスティアーノ・ロナウドが若手有望株、フィーゴジダンといったレアル・マドリード所属のスター選手が注目選手として扱われた。単なるカウンターサッカーのギリシアはつまらなかったが、ポルトガル・フランス・ドイツなどの強豪国のサッカーから学ぶことは多かった。

 2004年当時、2002年のW杯でグループリーグを突破したこともあってか、日本代表のサッカーも世界に通用する時代がようやく訪れた、のように感じていたサポーターやメディアが多かった。EURO2004を真剣に観戦したことで、日本代表に対する楽観的な見方が空虚な妄想であることを強烈に感じさせられた。90分間通しての運動量、ボールのない所での駆け引きやポジショニング、組織的な連動性、1人1人の基礎的技術(トラップ・パス・ファーストタッチなど)など、EURO出場国と日本代表には歴然たる差があったのだから。

 

 もう1つ感じたこともあった。W杯は異質なサッカー文化が混ざり合う大会なのに対して、EUROは同質性の高い文化の中での戦い。もちろん、EURO出場各国の中でも、それぞれのサッカー文化は全く違う。だけど、その違いはヨーロッパの枠内での違いにしか過ぎない。世界のサッカー文化との対比で考えると、言ってみれば同じ言語の中にある方言の違いくらいにしか過ぎない。相対的にみて、各国の違いは小さい。

 各国が互いの違いを十分に知り尽くしているからこそ、全く異質な者と対峙するような畏れをなすことなく、サッカーそのものへの進化につながるようなプレーが結果として多く見られる。この4年間、EURO2008における美しい連動性をベースとする、スペインのサッカーが世界中に大きな影響を与えた。EUROはこれからのサッカーのあり方を考える絶好の機会でもあると同時に、サッカーという競技そのものを進化させる大会でもある。

 

 サッカーを深く考えさせられたことで、サッカー観戦をするサポーターとしての能力も向上する。強豪国のサッカーを観戦していると、1つのプレーや判定に、時として容赦のないブーイングが飛ぶ。サポーターもよくサッカーを見ているな、と感心させられる。それに比べて、日本代表の試合で見る、アジア各国のサポーターは単に騒いでるだけ。サポーターの能力や質が向上しない限り、強豪国へは駆け上がれない。

 選手個々の能力向上も必要だが、サポーターの能力も向上しなければ、強豪国の仲間入りはできない。EURO2004はそのことを痛烈に教えてくれた大会だった。今大会もサポーターの能力を向上させる大会になるはずだ。僕もさらにサッカー観戦能力を向上させたい。

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