明日を見通せない時代だから・・・

鉄道・スポーツ観戦・読書・音楽鑑賞をこよなく愛する、永遠の17歳

あの日から8年

 死者107名の大惨事を引き起こした、JR西日本福知山線脱線事故から、今日で8年が経過した。

 今もって苦しんでおられる負傷者や遺族の方々も多くいる。その方々の苦痛はいかばかりだろうか。「3・11」でも強く感じたことだが、直接の被害者ではないからこそ、最も重要なのは忘れないこと、だと思う。

 あらためて、事故で亡くなられた方に、心から哀悼の意を表します。

 

 当時、ほぼ毎日、僕はJR京都線神戸線の新快速・快速、東西線(尼崎~北新地)に乗っていた。尼崎駅で三ノ宮方面からの列車と東西線を乗り換えることも多く、福知山線(通称「JR宝塚線」)の事故は決して他人事と思えなかった。事故直後から福知山線が全面復旧するまで、ダイヤ上福知山線へ直通する東西線列車はすべて尼崎駅止まりとなり、『尼崎』行きの表示を痛々しく感じた。

 

 事故原因を究明した事故調査委員会の示した報告書でも示されたように、ゆとりのないダイヤ設定が事故の要因の1つだったことは明らかだ。

 2005年当時、京阪神の大動脈といえる京都線・神戸線の新快速はカツカツのダイヤ設定で、常時2分以上の遅延が当たり前。新快速と並走する快速・普通にもその遅延はすぐに波及する。京都線・神戸線東西線に直通する福知山線も、同様に常時遅延が発生していた。

 事故以前から、僕はこの異常な遅延ダイヤを危険視し、いつか必ず大惨事につながる、と度々警告してきた。福知山線事故の一報に接したとき、「なんでこんな大惨事が!」ではなく、「あぁ、ついに起こっちゃったか」という感覚でしかなかった。

 

 公共性の高い鉄道に求められる最優先事項は『安全に乗客を運ぶ』ことだ。これ以上に大切な事項はない。2006年のダイヤ改正で、危険なダイヤ設定は随分と解消され、また近年は新快速の12両編成化が進んだこともあり、2005年当時ほどの常時遅延状態からは脱した。

 ただ、事故を起こした責任は危険なダイヤ設定の是正だけで済むわけではない。事故の原因となったすべての事項から限りなく多くの教訓を学び取り、『安全に乗客を運ぶ』ことを徹底し続けることこそ、これからもJR西日本が求められ続ける姿勢なのだ。

 

 2005年夏に落成した321系。事故を起こした207系の当時の車体と同様、ステンレスに青を基調とした帯をまとうはずだった。被害に遭われた方の心情に配慮して、オレンジと紺の帯へと変更された。

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 207系も、321系も、今日も福知山線を走り続ける。安全に運行され続けることを祈るばかりだ。写真は大阪駅で撮影した321系D36編成。

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